感謝を伝えることと面白いと思ってくれる脚本を書く ー 近藤司が語る演劇に対する気持ち

近藤司:兵庫県出身、NY在住の日本人俳優/作家。出演作品に「ワンダーフット先生の大失敗」(準主演。Flux Fest 2013 審査員最優秀賞)、「2ndアベニュー」(主演) 等がある。「2ndアベニュー」では脚本も担当した。脚本/演出をした全編英語による長編舞台作品『In Ghostly Japan』はニューヨーク・マガジンの「批評家のピックアップ」に選ばれた(Hudson Guild Theater)。現在雑誌『Pen』のブログでもコラム連載中。

3歳から国際交流が盛んな団体で演劇を学び、大学時代に夢を持って東京で演劇を学ぶ為に芸能界に入るも、そこには自分自身が探す夢は存在しなかった。だけど、その東京での経験がきっかけでニューヨークに渡米することを決める。そしてニューヨークで始めて演劇の授業を受けた時に受けたクラスの内容や仲間たちの志を目の当たりにして東京で味わった「夢から失望への変化」が「失望から夢への変化」にまた変わり、再び夢を叶えることを決意。そして始めて脚本から映像撮りまでやったリアルなニューヨーカーの生活を紹介した二アベを制作。他にも役者や脚本家としても色々なアメリカの作品に参加。

そんな彼がニューヨークで演劇を通じて気付いたことをインタビューしました。

ー 今日はよろしくお願いします!では何がきっかけで演劇を始めたのですか?

Tsukasa:一番初めに演劇と出会ったのは3歳の頃に両親に入れられた、子供が集まる国際交流団体です。その団体の集まりでは英語で歌やお遊びなどやっていて、その中に芝居があったんです。日本語と英語の両方で物語を発表するというもので、そこにいたので3歳から英語をつかう習慣があったんです。

ー すごい環境ですね!だけど、この時はまだ子供なので本気で演劇をやろう!なんて思ってないですよね?いつから本気で演劇の道へ?

Tsukasa:もちろんあの頃はまだ本気もわからないでしたよ(笑)演技自体の可能性を感じ始めたのは中学生くらいからだと思います。中学校くらいから「もっと上手くなれるんじゃないか?」「実は演技の才能があるんじゃないか?」と思い始めました。けどまだ中学生だったのもあって「将来は演劇で食べていこう!」とは思わなかったし、大学受験の時は卒業したらちゃんとした企業に入ってお金を稼がないといけないと思っていたこともあり、演劇からは遠ざかりました。

ー 一流企業に就職しようとしたのですか?

Tsukasa:一流企業に入りたいとかはなかったのですが、自分の能力を証明したいという思いは強かったです。高校時代は家庭の経済状況も良くなく、予備校に行ったりはできませんでしたが、勉強は割と得意でした。高三の時に「もしかして本気で頑張れば東大いけるんじゃないか?」「地方の公立校出身で、家が貧乏なのに東大に行けたらスゴイんじゃないか」とふと思いついて東大受験をすることにしました。ただ現実は厳しく東大には受かりませんでした。だけど、これは良いきっかけでした。

ー 良いきっかけですか?

Tsukasa:東大に落ちたことがすごいコンプレックスになったんですよ。なんとか自分の能力を証明したいと思うようになったんですよね。結局、私立の大学に入学していたんですが、そこの授業の質にも周りの生徒にもガッカリしてました。「つまんねーな」とか思ってたら編入という制度がある事を知って、大学を移ることを決意しました。毎日夜中まで図書館で勉強しました。大学2年生の秋にドイツ語・英語・経済論文の試験を受けて京都大学の経済学部に運良く編入することができました。これでプツンと糸が切れたように「学歴」とか「能力を証明する」っていうことに関するコンプレックスが消えてしまいましたね。京都大学には自分より頭の良い人なんて山ほどいたし、自分よりも恵まれてない境遇から京都大学に入った人もたくさんいました。コンプレックスが無くなってかえって勉強にも遊びにもどん欲になりました。そこで再び演劇をやり始めたんですが、演劇でプロになることを目指したいと考え始めました。そして自分自身がどれだけ演劇に真剣なのか確認するために1年休学して東京に上京することを決意しました。

ー そこまで考えての東京上京は濃い1年になりそうですね。実際東京での1年はどうでしたか?

Tsukasa:いやー、勉強になりましたね!当時19歳で色々な夢を持って上京したんですが、それを実現できるような可能性はこの1年の間では見つからなかったです。それに芸能事務所が教える演技クラスはレッスンも少ないし、教えている人が本当に教える資格があるのかも謎でしたね。「ここでどれだけ努力をしても夢を実現することはできない。」と思いました。そんなことを考えてる間に1年なんかすぐ終りました。なので「東京で何を学んだか?」と聞かれると難しいんですけど、芸能界の仕組みは少しはわかりましたね(笑)その仕組みがわかったこともあり東京を去る時には夢が失望に変わっていました。この失望があったからこそ1年後の「ニューヨークに行こう!」という決意が生まれたんだと思います。

ー 東京でダメだったから、ニューヨークに行こうと思ったのですか?

Tsukasa:東京の1年滞在の後大学に復学しました。卒業しても演劇をやり続けることは決めていたものの、東京という世界にそれほど夢や興奮は持てなくなってたんですね。で卒業の半年前くらいにふと「ニューヨーク行けばいいじゃん」と思いついたんです。ニューヨークにはブロードウェイもあるし演劇学校もあるみたいだし、と。ニューヨークがどんなものか確認するために一週間だけニューヨークに下見に来ました。その時に演劇学校のクラスを何個か見学したんですが、教え方がすごく論理的で感動しました。先生もブロードウェイに出てるプロの俳優さんたちで、「ここなら成長できる」と確信出来たのもあって、ニューヨーク留学することを決めました。

ー そのニューヨークで通った演劇学校は日本にいた時に見つけたのですか?

Tsukasa:HBスタジオという演劇学校に入学することになるんですが、HBスタジオのことはネットでは見つけていませんでした。もっと他の授業料の高い学校はすぐに見つかったんですが。ニューヨークに下見で滞在している間にこっちで演劇をしている人にたくさん聞いて回ったのが良かったです。あとは自分の目で観る事。足を使って人にたくさん会って、学校にも直接言って質問をぶつけること、学校に通っている生徒と話してみること、ネットでのリサーチは当然大事だけど、それ以上に自分の目と足を使って調べることが大事だと思います。留学を希望している若い役者さんからよく質問のメールが来るんですけど、「それくらい自分で学校に直接聞きなさい!」と言いたくなることがあります(笑)

− やっぱり人から聞いた評判と自分自身の目で見た学校はイメージは違いましたか?

Tsukasa:全然違いました。クラスのみんなは夢も熱意もある素敵な人が多かったです。みんな夢を持ってニューヨークに挑戦しに来ているし、色々な年齢、人種の人達が1つのクラスで切磋琢磨している感じがすごい伝わってきました。それに先生の教える内容も納得がいく授業ばかりで、日本の養成所にいるときとは全く違う感じがしました。東京で味わった「夢から失望への変化」が「失望から夢への変化」に変わりましたね。ニューヨークでなら夢が叶えれると強く感じたんです。そう感じたのもあって留学をすることに対して悩みはなかったです。

ー なるほど。でも留学と旅行は大きく違いますよね?留学して最初の1ヶ月とかどんな感じだったんですか?

Tsukasa:自分の場合はたまたま運もよく、始めのうちにニューヨーク歴の長い日本人演劇関連の方々と知り合うことができました。それ以来、彼らの助けを借りて演劇の舞台に立たせてもらったり、演劇を仕事にしてニューヨークに住むためには必ず通らないといけないビザの話など色々助言も頂きました。あの当時は基本的なことすら何も知らない状態でニューヨークに来たので教えてもらう全てが有力な情報でしたし、本当に彼らには色々助けて頂きました。

ー 夢があっても、具現化するためには第三者の助言は大切ですからね。

Tsukasa:そうですね。彼らがいなければ今こうやってニューヨークにいることも無かったかもしれないですからね。

ー 実際に色々助言を貰ったと思うのですが、ニューヨークで演劇で食べていけると思ったのはいつですか?

Tsukasa:まだ演劇学校に通っていた学生の時に色々な方から役者としてのオファーを貰ったんです。ですが当時は学生ビザだったこともあり泣く泣く断らないといけない仕事もたくさんありました。だけど、学生で無名な自分でもオファーがくるなら、アーティストビザも取って努力すればニューヨークで食べていけるんじゃないかな?と思ったんです。

ー なんで無名の司さんにオファーが来たんですか?

Tsukasa:渡米して1週間も経たないうちに毎日オーディションを受けまくってました。あと人からの紹介でもらった事もたくさんありました。日本ではオーディションを受けるのでも事務所の許可が必要で自分が受けたくても受けることすら出来ないんですが、ニューヨークは誰でもオーディションを受けることが出来るんです。なのでオーディションでいい結果を出せば学生だろうがチャンスはあるのがニューヨークなんです。

ー 日本とは仕組みが全く違うからこそ、可能性も感じれたんですね!

Tsukasa:そうですね。だからといって日本でやってきたことは全く無駄ではなかったし、ニューヨークでオーディションを受ける中でアメリカ人でもレベルが高い人ばかりではないってことを知ったので、自分自身もニューヨークで戦える可能性を感じました。それに小さい頃から英語を使う環境にいたし、大学でもバイトでTOEICを教えていたりしていたので英語には自信があったので、アメリカ人と対等に戦えると信じていました。

ー 英語が始めから話せるのはうらやましいですね(笑)そこまで可能性を感じていたってことはアーティストビザを取得する準備をするのも早かったんですか?

Tsukasa:はやかったですね。初めて助言をくれた役者の先輩に将来の話を色々した時に「学生の立場ではお金も貰えないし、お金が貰えないと才能がある人たちと一緒に仕事は出来ないからアーティストビザを取得したほうがいい」と言われて、早い段階でアーティストビザを取ろうとは意識していました。ただアーティストビザも最終ゴールではなく、仕事によってはグリーンカードじゃないとダメなものもたくさんあります。だからまずはアーティストビザを取ろうと思って準備をしました。

ー アーティストビザを取得する為に何を始めたんですか?

Tsukasa:とりあえず出た作品全ての書類関係を集めます。自分の名前や写真が載っているパンフレットやポスター、自分についての新聞記事や映画祭の賞状なんかですね。有名な方と一緒に演じる機会があれば推薦状が貰えるように努力したり、本数が少ないとダメだと思ったんで出れる作品には全て出ました。中には「こりゃダメだ」という作品もありましたがクレジットを集めるために歯を食いしばってやりました。

ー なるほど。では、ビザを取得する時に弁護士を使うのは一般的だと思うんですが、どうやって弁護士を見つけましたか?

Tsukasa:自分が通っていた学校で何人か弁護士の方がワークショップをしていたので、その中から選びました。ネットだけだとどうしても信用できないというのもありましたね。もし今からネットを通じて弁護士を探す人がいるなら何人もの弁護士にあって、信頼出来そうな人を選ぶのがいいです。

ー たくさん作品に出て、クレジットをたくさんもらえればアーティストビザは貰えるものなんですか?

Tsukasa:ノーベル賞レベルの賞を取っていればそれだけでアーティストビザがもらえます。そこまでの賞をもらっていない場合には10個の判断基準があってそのうち最低3個を満たさないことになっています。「国際的に有名な賞を受賞している」とか「高額のギャラをその分野の仕事で受け取っている」とか「その分野の一流の審査員/パネリストとして招待されている」「著名な新聞などに作品や個人が紹介されている」とかがあります。なのでたくさん作品に出ること、全力で作品に取り組むことを続けるしかないように思います。たくさん作品に出た事で人脈はかなり広がりました。

ー アーティストビザを取得されて仕事の幅は広がりましたか?

Tsukasa:はい。仕事の幅も変わって日常的に会う人たちの種類も大きく変わりました。あと学生じゃない、プロなんだという意識の変化は精神的にすごく良かったですね。学生の間はやはりどうしても周りが学生が多くなってしまいますが、そうでなくなったことで改めて「自分は何がしたいんだ。」と考えるようになりました。二アベが生まれたのもそういった背景があると思います。

ー 二アベ (2ndアベニュー)ってなんですか?

Tsukasa:「二アベ (2ndアベニュー)」は、日本の社会からはみ出してしまった元グラビア・アイドルのマリコと、アメリカで育ったゲイの日本人学生タイチが、ニューヨークのブルックリンで繰り広げるサバイバルコメディです。題名の「2ndアベニュー」には、主人公たちの住所の他に、「ニューヨークはセカンドチャンスをくれる街」というボクたちの実体験からくる感謝の思いが反映されています。

ー 二アベが生まれた経緯は?

Tsukasa:二アベという企画はボクと、監督と主演の3人が共同プロデューサーという形で制作をしました。ボクがまずアイディアを思いついて、他の2人に参加してくれないか誘ったのが始まりです。日本のテレビでは見たことのない日本人のストーリーをYouTubeを使えば誰でも見られるようにできるのが面白いと思ったのが脚本の出発点ですね。二アベが頭の中で思い浮かんだ時には声をかけるメンバーも自分の中では決まっていました。

ー 二アベでは脚本をやられているのですが、脚本は二アベが始めてですか?

Tsukasa:実は書くことは好きで日本にいる時からやっていました。ニューヨークに渡米してからも日系の劇団などに脚本の話を貰って、脚本を書いたりもしていましたし、運良く良い演出家やプロデューサーの方たちと一緒に仕事をしてこれたので、脚本を書くことは役者をやるのと同じくらい好きになりました。映像の脚本を書いたのは二アベが初めてでした。

ー でも、頭の中にポッと出たからといって、形にするのは大変じゃないですか?どうやって形にしたんですか?

Tsukasa:まず物語を頭の中で作ってたのですが、イメージしているキャラクターにピッタリな女優が知り合いにいて、昔同じ演劇学校に通っていたんです。それが本田真穂さんです。

本田真穂:茨城県出身ニューヨーク在住俳優。早稲田大学在学中に東レの水着キャンペーンガールに選ばれ芸能活動を開始。2006年アジアスーパーモデルコンテストにて第4位入賞とメディア賞をダブル受賞。日本と中国でテレビドラマや15本以上の大手企業TVCMに出演した後渡米。最近の出演は「The Newsroom(HBO)」や「Unbreakable Kimmy Shmidt (Netflix)」など。俳優業の他、モデル業、ELLE ONLINEやハフポストジャパンでの執筆も手掛ける。全米映画俳優組合(SAG)加盟。 (photo by Ayumi Sakamoto)

監督には川出真理さんをお願いしました。彼女が撮った映画に、NYに来たばかりの時に出演させてもらったのがきっかけです。しかも2人とも声をかけたときにプロデューサーとしても力を貸してくれると言ってくれた時は嬉しかったです。

川出真理:兵庫県出身ニューヨーク在住フィルムメーカー。2009年にDigital Film Academyを卒業以来、数々のドラマ、ドキュメンタリー、ウェブシリーズ、ミュージックビデオを制作。それらの作品は、国内外のフィルムフェスティバルで正式上映され、Los Angeles Movie Awardsなど多数受賞。フィルムメーカーになる前は、エンターテイメントディレクター・プロデューサーとして約700本のライブ・イベントを手掛ける。

ー 人集めは繋がりから見つかったんですね。では、お金はどう集めたんですか?

Tsukasa:クラウドファンディングを使ってお金を集めました。我々が選んだ”キックスターター”は、他のクラウドファンディング用のウェブサイトに比べて、特にクリエイティブなプロジェクトの発案者/支援者の圧倒的な支持を集めています。二アベは個人投資家、スポンサーからの資金、それとキックスターターで集めたお金で作ることが出来ました。

ー なるほど。僕自身渡米前に実は二アベを見ていたユーザーだったのですが、二アベって結構リアルですよね(笑)

Tsukasa:ボク自身が嘘が入っている作品を観るのが好きじゃないなんです。「夢は努力すれば叶う」とか「世界にひとつだけの花」的なメッセージだけで物語を作ってしまうと、観ている人も興ざめしちゃうと思うんです。メッセージ自体に価値があってもです。アメリカの映画やドラマでは言葉遣いとか扱うトピックがリアルだなーと感じることが多いですが、そこには現実社会の格差とか人種差別とかをなるべく取り込もうとする意識があるのかなと思います。そういう意味でリアルを伝える脚本が作りたいと思いました。

ー なるほど。二アベはニューヨークがテーマですが、なぜリアルを伝える=ニューヨークだったんですか?

Tsukasa:二アベを思いついた時は「日本のテレビでは見れないコンテンツを作りたい」というコンセプトがあったんです。マリファナのシーンやゲイ同士のキスシーン、芸能界やテレビ関係の裏話など日本では絶対放送されないリアルな部分を伝えたいって思ったし、隠さず露骨に伝えることで面白くなるかなとか思ったんです(笑)で、なぜニューヨークなのか?の質問の答えとしては、自分自身がニューヨークに実際住んでるからってのが大きいです。色々経験していることをコンセプトにそって書けば面白い脚本がかけると思ったんです。

ー けど、そのコンセプトで脚本を書くことでニューヨーカーを誤解する人もいるんじゃないですか?マリファナ吸っていいんだ!とか。

Tsukasa:二アベに関してはそれらのことを推奨しているわけではなく、リアルなニューヨークを伝えたいだけなんです。例えばマリファナを例にして話すと、現在NY州でマリファナを吸うことは違法ですが、家で吸ってる人はたくさんいます。それをネタにしてテレビで笑いを取るコメディアンもいます。違法だからといってそれ自体の存在をなかったことにするのは嘘だと思うんですよね。

ー なるほど。二アベの話はもっと伺いたいのですが、長くなると思うので後日別インタビューで取らせて頂きます!では、アーティストビザを取得するまでに時間が少し空いてるのですが、このときは何をしていたのですか?

Tsukasa:アメリカで学校を卒業するとOPTという実地トレーニングのための就労許可を出してもらえるんです。なので演劇学校を卒業してからはOPTを使って1年間仕事をしていました。期間は1年だけなんですがほぼグリーンカードと同じで就労範囲に制限が無いんです。

ー なぜアーティストビザではなく、先にOPTを取得したんですか?

Tsukasa:実はアーティストビザを持っていたとしても制限が色々あって、受けれない仕事もあるんです。OPTはそれよりずっと制限が少なくて、できる仕事の範囲が広いんですね。テレビの仕事や、ブロードウェイの仕事なんかはアーティストビザだと難しいことがあります。もちろん例外もたくさんありますが。

ー なるほど。では、OPT期間はどんな仕事をしていましたか?

Tsukasa:NYにはジャパンソサイティーという団体があって、映画やパフォーミングアートの素晴らしい企画をたくさんされているんですが、そこでのショーをいくつかさせてもらいました。あとテレビの仕事などもやりました。NYのインディーフィルムメーカーともたくさん仕事をさせてもらいました。

ー そのOPT期間で一番残っている話はありますか?

Tsukasa:小川絵梨子さんという演出家の方がいらして、当時彼女はジャパンソサイティーで仕事をしていたんです。出会ってすぐに日本でも仕事をたくさんし始めて、日本ですごい売れっ子になられたんですが、最初にNYで会った時にすぐに彼女はすごく才能のある演出家だと分かりました。またアメリカ的な演劇を日本語という言語に置き換えて日本にしっかり伝えている人はあまり見たことがないですが、彼女は見事にそれをしていると思います。彼女とならどんな条件でも仕事がしたいと思っています。そんな尊敬をしていた彼女に自分が書いた脚本を演出して貰えたのは嬉しかったです。

小川絵梨子:1978年東京都生まれ。聖心女子大学文学部卒業後、渡米。2004年米アクターズスタジオ大学院演出学科卒業。10年に、翻訳・演出した舞台が小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞。

ー 彼女と出会いは大きな転換期だったのかもしれないですね!

Tsukasa:彼女はかなりのキーパーソンですね。多分彼女がいなかったら、かなり早い段階でアメリカに飽きていたと思います。アメリカが用意してくれた物は本当に大きいけど、それをどう選択していいか気付かせてくれるのは周りの仲間しかいないんですよね。素晴らしい先生に教えてもらえることは演劇学校に行ったメリットの一つですが、それ以上に周りにいる仲間のプロ意識や本気で演劇と向き合ってる先輩方から得られる情熱やストイックに作品に取り組む姿はかなり刺激になりました。

ー それだけアクティブな人がいると誰と一緒にやろうか悩みませんか?どうやって人を選んでたんですか?

Tsukasa:「この人と自分ならこういう作品が作れる」と具体的に最終プロダクトが想像できる人と積極的に仕事をさせてもらいました。というのも色んな形の才能があります。でも自分の場合は自分自身が理解できる才能ではないと意味がないと思っています。なのでいくらすごい実力や知名度がある人がいてもボクが理解できなければ、彼らの才能を100%出せる芝居や脚本を作ることが出来ません。実際にニューヨークには才能あふれる人が無限にいる反面、どうやって関わっていいかわからない人も無限にいます。

ー なるほど。だから二アベの時もすぐに協力者を見つけることが出来たのですね。では、作品を作ると決めてから形にするまでのスピード感を出すうえで何を意識しましたか?

Tsukasa:うーん、今振り返るとワクワクと感謝を忘れないことだと思います。作品を作るってすごい時間がかかることで、二アベも結局2年近くも時間がかかってしまいました。だけど多くの人に助けてもらって、作品を作りながら常に頭の中にはワクワクと感謝がありました。特にお金が発生するプロジェクトではなかったので「もしみんな辞めるって言い始めたらどうしよう」みたいな不安はありました。自分が書いた物をみんな面白いと思って動いてくれる事なんて今しかないから頑張ろうと自分自身に言い聞かせていました。

ー でも自分の気持ちをコントロール出来ても、周りをコントロールするは難しくないですか?

Tsukasa:結局のところ協力してくれる人に出来る一番大事な事は、感謝を伝えることと、多くの人が面白いと思ってくれるように頑張って脚本を書くことかなと思います。そしてボクがすごい幸運だと思ったのは本田と川出の2人がとても頭の良い人たちで、かつ人格者だったことです。彼らが二アベをやると決めた時にハッキリ頭の中で参加する理由を持ってくれていたことは大きかったです。もちろん理由を持ってたとしても作品を撮る中で葛藤があったと思います。結果最後まで一緒にやりきれたのは本当に嬉しいですし、ありがたいですね。

ー なるほど。司さんみたいに演劇をやりたくて勉強してる人はたくさんいると思うのですが、なかなか現実にすることが出来ない人と現実に出来る人の違いはなんだと思いますか?

Tsukasa:自分の周りに、実際に行動に移している人が多いと「自分もできる!」と思えるようになると思います。なのでアクティブな人たちと積極的に関わることですね。二アベを思いついた背景にも、アメリカでのウェブドラマの流行があります。自分の周りの役者やフィルムメーカーが次々に面白いウェブドラマを低予算で作っているのを観て励まされました。

ー けど、その作ろうと一歩踏み出す勇気はすごいですね。恐怖はなかったのですか?

Tsukasa:自分にとって一番の恐怖は「このまま生活すれば何もしないで終っちゃうんじゃないか?」という恐怖でした。ニューヨークに来た時も「何か大きい変化を起こさないと人生がグダグダで終わってしまう」という恐怖がすごく大きかったから来たんだと思います。で、自分で人を巻き込んでプロジェクトを作って行こうと思うようになったのも同じ恐怖からです。「もしかしたら数年後にハリウッドがラストサムライみたいな映画を作ることになって、オーディションに受かるかもしれない」なんて考えてた時期もありました。だけど、そんな運が来るかわからないのに、ただ待ってるのは嫌だって思ったんです。それに才能があると信じて渡米したのに、それが発揮出来てないっていうのもすごい恐怖でした。ニューヨークにいる人達って本当にフットワークが軽くてすぐに行動します。それを見ていて「自分はいつやるのか?」と自分自身に聞いた時に今しかないと思ったんです。そう思うと逆に常に一歩を踏み出さないと怖くなります。

ー 色々面白い話をありがとうございました!最後に今から役者としてニューヨークに渡米する方に一言頂けますか?

Tsukasa:まずは早い段階でニューヨークに来ることが大切だと思います。大げさな覚悟を決めて来てしまうと「一旗揚げないと帰れないぞ」と思って力んでしまうと思いますが、そこまで考えなくてもいいと思います。もし失敗したとしても「失敗したなら日本に帰ればいいんだ」くらいの考えで渡米し、自分自身をニューヨークで試してみるといいと思います。こっちで外国人のクリエーターによく「なぜ自分の国(=日本)がそんなに発展していてマーケットも大きいのに自分の国で勝負しないのか?」「自分の国に戻る、という選択肢があることはうらやましい。(=自分の国では映画/テレビ/舞台という産業がすごく小さい)」と言われることがあります。日本はすごく大きなエンターテイメント業界を持っていて、才能がある人がたくさんいます。そこに戻るという選択肢があることはすごく幸運なことです。若い人はもっと気軽にニューヨークにチャレンジしてほしいですね。可能性が溢れる街、ニューヨークを楽しんでください。