努力し続けて掴んだ夢 ーダンサー中澤 利彦が語る、夢への努力は自分を裏切らない

中澤 利彦:大学に入学して「新しいことがやりたい!」と思って、目に止まった「モダンダンス(創作ダンス)」の文字が中澤 利彦さんの人生を大きく変えた。YOUTUBEで見たアマチュアナイトで「俺の方が良いパフォーマンスが出来る!」と無謀な事を考えてから数年後…本当にアマチュアナイトで2013,14年優勝し、人気ダンスコンペティション番組”So You Think You Can Dance(邦題 アメリカンダンスアイドル)”で1万5000人中TOP100までの選出。

今ニューヨークの人気アトラクションバス「THE RIDE」で日本人唯一のパフォーマーとして活動する中澤 利彦さんにダンサーとしてニューヨークでやってきたこと、これからダンサーとしてニューヨークに来る人の為になるポイントを伺いました。

たまたまやったことが人生を変えた

ー 今日はよろしくお願いします!では、入りは一般的な質問から…ダンスはいつからやられていますか?

中澤:ダンスを始めたのが遅咲きで18歳の頃でたまたま大学にモダンダンス部をやってる部活があって、当時はバスケやサッカーをやっていましたが、新しいことがやりたいって思ってモダンダンスサークルに入りました。ほんとうにたまたまだったんです(笑)18歳からダンスを始めて22歳の大学卒業と同時に就職をきっかけにダンスを一時的に辞めました。卒業後はレストランで正社員で働いていましたが、やっぱりダンスがしたいと思ってダンサーとして食べてこう!と決意し、ダンスを再開しました。

ー 日本でもダンサーとして活躍してる人がいますが、なぜダンサーで食べてく=アメリカなったのですか?

中澤:日本でダンサーとして食べて行く事も頭に浮かびましたが日本でダンサーとして食べて行こうと考えた結果…僕の思い描くダンサーはアメリカにある!と思い海外に出る事を決意し、ガッツリ環境を変える&英語が話したいってこともありアメリカに留学することを決めました。

ー なるほど。確かに日本ではインストラクターやって発表会やってという生き方は想像つきますね。では、アメリカで簡単にやれば稼げるものなんですか?

中澤:アメリカならエンターテイメントの国だから将来もエンターテイナーとしてご飯が食べて行けると当時は思っていました。当時Youtubeでアポロシアターのマイケルジャクソンを生んだアマチュアナイトを勝ち抜いたダンサーの動画を見つけて「あれ?これくらいの技術があればご飯が食べれるのか?」と正直思ってしまいました。そして、「このくらいの技術があれば、優勝できるなら頑張ろう!アメリカなら自分にも可能性があるかもしれない!」と正直思いました。今思い直せば優勝した彼は技術以外の部分がすごかったと思うのですが、当時は何も感じることができなくて「とりあえずニューヨークなら俺のダンスも通じかも!」と思ってニューヨーク留学を決めました。

アーティストビザを取得までの道のり

ー すごいですね!若者が持つ行動力ってやつですね。では、実際留学決めてからどうしましたか?

中澤:実際日本で留学を決めてニューヨークに留学するまでは半年くらいかかりました。取り和え残高証明を出さないといけないので、そのお金は色々な所から集めて200万くらい残高証明出して、実際ニューヨークに持ってたのは100万程度でした。

ー 残高証明出したってことは留学生からスタートしたのですか?

中澤:もちろん始めはハードルの低い学生ビザでスタートしました。学生ビザを取得する為にも学校に行かないといけないので学校選びにかなり力をいれて、自分の場合は英語を学びたいわけじゃないので学校選びは結構簡単で、自分が求める2つの項目をクリアしてるところだけに絞りました。2つとは「日本人のアドバイザーがいること」「アポロシアターで勝ち抜いたダンサーがいること」の2点です。そうすると必然的に学校は絞られました。少し時間がたって「そろそろダンスの仕事したいな!」と思った時期もありましたが、ソーシャルセキュリティーナンバーがないと働けない場所ばかりでソーシャルセキュリティーナンバーがない自分は仕事が出来ませんでした。

社会保障番号(しゃかいほしょうばんごう、英: Social Security Number, SSN)は、アメリカ合衆国において社会保障法(the Social Security Act)205条C2に記載された市民・永住者・外国人就労者に対して発行される9桁の番号。連邦政府の社会保障局によって個人に対してそれぞれ発行される。もともとは徴税用の個人特定が目的であったが、近年は事実上の国民識別番号となっている[1]。SS-5申請を適用することによって取得することもできる。

ー そこまで色々考えてたってことは、当時から英語は結構話せたのですか?

中澤:英語はほぼ勉強しないでニューヨークにきましたので、全く話せませんでした!アポロシアターのアマチュアナイトはそんなしゃべらないので、問題ないですが、人気ダンスコンペティション番組”So You Think You Can Dance”では嫌でも司会の人と話さないといけなかったので、本当に苦労しました。ですが、日本で活躍している外国人が日本語完璧に話せるのか?っていったら、そうじゃないのと同じで、ニューヨークでも英語が話せないから夢が掴めないというわけではありません。それに僕にはダンスという表現があるんで、それは逆に武器になった!という感じですね。

ー 英語もあまり話せない状態でニューヨークで活動するって日本の人は想像つかないかもしれないですね。1つ気になったのですが、この時はまだ学生だったと思うのですが、アーティストビザを取るきっかけはなんだったのですか?

中澤:やっぱりダンサーとして食べてく為には働けるビザが必要で、アーティストビザを取得する為に色々なコンテストにも出場しました。アポロシアターで優勝したり、人気ダンスコンペティション番組”So You Think You Can Dance(邦題 アメリカンダンスアイドル)”で1万5000人中TOP100までの選出したりしました。ここまで出演するまでは本当に苦労しましたけどね…ダンスのコンテストもどれだけ出たかわからないくらい出ていますし、チャンスがあればなんでもやりました。多分、この努力が認められてアーティストビザが取れたと思っています。

ー アーティストビザは意外に簡単にとれたのですか?

中澤:自分の場合はアマチュアナイト優勝とかよりもSo You Think You Can Dance出場がすごい大きなポイントになりました。やっぱり誰もが知ってる番組で踊ることはクレジットとしては強いんだなと感じました。

ー アーティストビザを取得した後は生活は変わりましたか?

中澤:実際ビザを取ったからと言って仕事がバンバン入る事はありませんでした。だけど、アーティストビザがある事でビザの必要な仕事を公式な形で引き受けることが出来たのは嬉しかったですね!例えば学校でダンスを教える事がしたかったけど、昔ビザがないと出来ないと言われましたけど、ビザを取得後は夢だった学校でダンスを教える事に成功しましたね!その時は本当に嬉しかったです。

ー ビザ1つで大きく変わるんですね!色々な仕事を今はされていると思いますが、アーティストビザを取って始めての仕事はなんですか?

中澤:始めての仕事はずっと誘われてたけど、ビザがなくて依頼を受けれなかったパフォーマンスの仕事です。やっと、出来たって感じですね(笑)その後2014/4にTHE RIDEのオーディションを受けて100人の応募者の中から数名の中に選ばれて、THE RIDEの仕事を始めました。実際合格が貰えたのは最初の試験を受けてから半年後だったので、最後らへんは正直落ちたのかな?と思っていました。だけど、一次審査の時点で良い感触があったので、合格を貰った時は「やっぱり合格だよね」なんて思ったりもしました。

人生を変えたメンターとの出会い

ー 夢を叶える為に挑戦し、色々努力をされているのは伝わりました。夢をニューヨークで叶えてる人は本当に人が想像出来ないくらいの努力を裏でやられてるんですね。でも、夢を叶える為には1人では無理だと思うのですが、中澤利彦さんの人生を変えた人は誰ですか?

中澤:二人います!1人が大学の時の先生です。先生にはアメリカに渡米する時から相談をさせてもらっていて、今ではダンスだけではなく、将来や結婚についても相談にのっていただける大切な恩師です。もう1人はISOPPさんです。ブレイクダンサーで一回しかお会いしたことはありませんが、音を上手く使った表現力とダンスに対する情熱を感じ、今でもインスパイアをされ続ける最高のダンサーです。

ー 今でもインスパイアされ続けてるのは素晴らしいですね!では、ニューヨークに住んでから中澤利彦君の人生を変えた瞬間はいつですか?

中澤:やっぱりアポロシアターの2013年、2014年のアマチュアナイトで優勝したのが大きかったです。元々の夢がアポロシアターで優勝することだったので、この夢が現実に変わった瞬間は鳥肌が立ちましたね!

だけど、周りはアポロシアター優勝よりアメリカの人気番組「アメリカン・ダンスアイドル」に出場した事のほうがスゴイと言いますね(笑)

ー 色々今日はありがとうございました!ここまでインタビューをして私自身今後中澤利彦さんがどんな活動をしていくのか気になるのですが、今後の予定とかありますか?

中澤:今後は教育×ダンス×英語=可能性をテーマに今まで日本で主に学校を中心に公民会や集会所、児童施設など、6都市、30箇所以上の講演活動をしてきましたが、今後は更に幅を拡げて活動しようと思っています。少し多くの若者に夢が与えれる人間になれればと思っています。もちろん拠点はニューヨークです!

ー 教育×ダンス×英語=可能性ですか…おもしろいテーマですね!応援します!最後にダンサーとしてニューヨークで挑戦しようとしている人にメッセージを頂けますか?

日本以上に、あなたより上手なダンサーは吐いて捨てるほどいます。その中で、あなたは「代わりのきかないダンサー」になるのか「代わりのきくダンサー」になるのか…ダンサーとして成功する上で是非考えて欲しいと思います!