絶対の答えがないから挑戦し続ける ーフォトグラファー 石川 信介が語るNYでの挑戦

石川 信介 : 日本人の母と日系ブラジル人の父を持ち、福岡に生まれる。19歳で上京し21歳で大学を中退後、STUDIOEBISに入社。その後、フォトグラファー尾形正茂氏に師事。2007年に独立。有名なアイドル、バンド、俳優のポートレートを中心にCD,写真集、雑誌、広告を手がける。2015年、ファッションフォトグラファーとして活動を広げるべく単身渡米。

結局はどこにいっても自分であることが大切と語るShinさんに、私自身も自分の価値観を壊すことからしか、新しい価値観が生まれないことを教えてもらいました。Shinさん自信そう思うために自分をある程度孤独な環境におきながら、新しいことに挑戦し続ける姿に惹かれてインタビューさせていただきました。

これからフォトグラファーとして世界で活躍したい人だけではなく、ニューヨークで夢を持って来た人に読んでもらいたいです。

自分を表現する為に出会ったカメラ

ー 今日はよろしくお願いします!では、入りは一般的な質問から…写真はいつ興味をもたれたのですか?

Shin:写真をいつ始めたかを話す前に、少し自分自身の話をさせてください。僕の家庭はブラジル移民だったのですが母だけ日本に戻り、僕は日本で生まれ育ちました。いろいろありブラジル国籍のまま日本で育ったわけです。幼い頃は日本で育っているのに日本人でないという矛盾と向き合う日々でした。20歳の時に自分自身のルーツを探すため、まだ見ぬ家族の住むブラジルに行きました。そして初めて自分の見たことのない世界にも世界があることを現実として知ります。帰国して始めに考えた事は「自分は今後何をしていくのか?」ということでした。日本人でないという矛盾の反動は僕を強く前に押し出す原動力となりました。その時はまだ幼く、経験がないことから答えを見つけるのは難しかったですが、行動を起こせば何かが残るかもしれないと思い出した頃でした。

ー 大学で東京にいかれて、写真と出会ったんですか?

Shin:そうですね、写真に出会う前までは先に話した矛盾の矛先をどこへ向けていいのか解らないといった感じでした。

ー Shinさんは出会った瞬間から写真に興味があったんですか?

Shin:部員の多くは写真が好きでカメラの世界に入っていましたが、僕は自分がここにいる事を残していきたい一心でしたので写真が好きで始めたという感覚とはまた違いました。まるですがりつくように。当然これがとてもハードな事で…。なぜなら、英語が全く話せないままアメリカに来てもコミュニケーションが取れない様に、表現したい事が整頓されていないのに被写体に向かう。そしてコミュニケーションをとれない(笑)。だから、写真が楽しいという感覚もありませんでした。しかし、ある写真展に行った事がきっかけで自分の中のフワフワしていたイメージは多少明確になったんです。

ー どんなきっかけだったんですか?

Shin:友人に誘われて写真展に行きました。報道写真です。その作品は貧困と難民の地域にフォーカスしていましたが、悲惨な状況をダイレクトに伝える事のみでなく、彼らの尊厳を描写した作品でした。そこで作者はこう語っていました。「どんな状況下であれ人は夢と希望を持つ権利がある。しかしその環境は様々で必ずしも公平であるとはいえない。いまここで自分の立ち位置を再確認して欲しい。それが彼らの状況とどうであるかを。彼らもまた頑張っている。」と。この話を聞いた時に心の中に、ある感情が芽生えました。

ー それはなんですか?

Shin:飛躍しようと。もしかしたらこの生い立ちに感じる矛盾であれ原動力になるんじゃないか、とか。過酷な環境下にある人々の、前に進もうとする力はいっさいの言い訳を感じさせませんでした。もし彼らのような人々が願い、行動し、色々な苦悩を乗り越えて見る景色があったとした場合、それは彼らだけが見れる景色なはずです。僕はそこから何を学ぶべきか。一生をかけて自分でいる為に僕も写真家として生きていこうと思いました。そして写真展を見た2ヶ月後に大学を辞めてフォトグラファーの道を歩いて行くことに決めます。これはあくまで僕にとってですが、大学とは将来のきっかけを見つける場所だったのでそれがみつかった時点で自主卒業を選んだ感じです(笑)

ー 辞めて、どうしたのですか?

Shin:とりあえずお金がなかったのでアルバイトをしながら、フォトスタジオに入る準備をしていました。スタジオに入ってからは色々なフォトグラファーのアシスタントとして勉強せてもらいました。あの時はひたすら集中してライティングやアシスタントのノウハウを勉強していました。ちょうど一年半くらい経ったときに、有名な写真家の方に声をかけて頂き運良くその方の専属のアシスタントをさせて頂きました。師匠の元でも本当に色々なことを学ばさせて頂きましたね。そこでは2年間アシスタントをさせていただき、独立しました。

ー 独立後はどうでしたか?

Shin:始めは1人で営業から全部やりました。2週間で30件くらい出版社やデザイン事務所を回って、数件仕事を頂きました。アシスタント時代の僕を見てくださっていた方々は、その姿を信頼をして仕事をくださった事もありましたし。その後も仕事は順調に頂きながら3年前には写真事務所も立ち上げました。本当に感謝しています。

ー では、本当にやりたかったことが海外にあったからニューヨークにきたのですか?

Shin:ファッションフォトグラファーになるために来ました。この街の速度は東京とはまた違ったものがあります。「熱と圧」というか。また自分の中にある可能性を試したいと思う人が多い街だと思っています。国の環境によっては僕がNYに来る以上にいろんな状況を越えて来ている人もいます。そういったいろんな背景をもった人達とより多く会うためにもとてもいい場所ではないでしょうか。

0からニューヨークで挑戦

ー 今ココまで話を聞いたのですが、今ある環境を壊して、何か新しいものを構築することってそんなに簡単じゃないと思いますが、よく一歩が踏み出せましたね

Shin:色々悩みましたが、先人たちの言葉にもたくさん勇気を頂きました。安定を望みながらも変化を恐れない事。僕は写真を職業にしていますが世の中には他に数多くの素晴らしい職業があります。結局は自分の人生を仕事に費やすにあたってどう人間性を育めるかが重要だと思っています。一見、壊しているように見える事ですが実は何も壊れてはいません。全てはつながっています。

ー なるほど。Shinさんの場合は自分を持っていたからこそ、0からニューヨークで挑戦しようと決意したんですね。

Shin:結局はどこにいっても自分であることが大切だと思っています。出来る限りしなやかであること。僕は石川信介でありたい。そう思うためにも自分をある程度孤独な環境におく事が重要だと思っています。自分を信じなければ先に進めないほどの環境に。例えば、辛い状況にいるとき僕はいつもこの状況がいつか思い出になって僕の勇気になればいいなと思います。そのためにも出来る限り乗り越えて成就したい。もしくは笑えるくらいに失敗していい思い出にしたい。そんな思い出は自分自身の一部になってくれるんです。やりきったと思えば優しくもなれます。

ー だけど、英語が出来ない状態だと色々伝えきれなくて落ち込むときもあるんではないですか?

Shin:もちろんあります。上手くいなかいことが続けば落ち込みます。ただ、それも大事な闘いです。また同じように悪い事も続かない事を僕らは知っています。次にくる好機を見逃さないためにも出来るだけ前に進みたいです。

ー たしかにそうですね。少し話しは戻るのですが、なぜ滞在期間を1年と決めたのですか?

Shin:家族を残してきているというのもありますが、まず計画性はとても重要な事だと思っています。例えば3年かかることを1年で終わらせる気持ちでいれば、おのずと集中力も増して迷いも軽減できます。才能とかではなく、活動的なことを一生懸命し続ければ、失敗の中から軌道修正を学ぶ事も出来ます。

ー なるほど。実際に始めの1ヶ月はどんな活動的なことをしましたか?

Shin:知る限り多くの人にメールをして、足を使い会いに行き、自分の想いを伝える事をし続けました。とても勇気のいる事でした。英語が出来ないことで追い返されることもありましたし。しかし、僕の中で大切だと思う事は全力でいるかいなかいという部分でした。

ー では、Shinさんがニューヨークにきて始めに頑張ったことはなんですか?

Shin:失敗を恐れないこと。恥をかく事を恐れない事。変化を恐れない事です。

ー では、英語の必要性についてはどう思いますか?

Shin:もちろん必要です。はじめは何言ってるかさっぱりわからなかったです(笑)実際話をしていて3回聞き直して、諦めて帰ったこともあります。恥ずかしかったです。だけど、このときもトライして、改めて英語の大切さに気付くんです。

ー では、日本にいた時は必要性を感じなかったんですか?

Shin:感じてはいました。だけど、痛みがない。生活上どうしても日本語を使ってしまう。必要とは思っても逃げ道があるから気づくとどこかでリアルじゃない。なので僕が子供の頃に「勉強しなさい」と母に言われても、その必要性がわからなかった僕は逃げてばかり(笑) 勉強してる子は本当にすごいって思ってました。

ー なるほど。結構濃厚な1ヶ月ですね…では、2ヶ月目はどんな感じだったんですか?

Shin:2ヶ月目はある方から紹介して頂いてNYで活躍されていらっしゃる方のアシスタントに入りました。理由としては最前線の現場の空気を感じて自分がそこで何を感じれるのかという事でした。そこでしっかり現場を見て、自分自身と対話をしました。良い経験でした。

ー 今このインタビューをしてる時が渡米4ヶ月目だと思うんですが、これから残りのニューヨークをどう生活していきますか?

Shin:行動はより具体的になってきますが、気持ちは1ヶ月目となんにもかわらないです。全力で努力をし続けます。それ以外に道はありませんし。

ー なるほど。Shinさんのようなアツい気持ちを持ってる方がニューヨークは多いと思うんですが、実際どうでしたか?

Shin:ニューヨークにはたくさん良い目をした人がいますよ。そんな人達に会う度にワクワクしますね。いつか娘にも見せてあげたい。

ー けど、Shinさんのように努力をしたけど、現実を突きつけられて夢が叶わず途中でリタイアする人が多いのもニューヨークだと思うのですが、どう思いますか?

Shin:それもまた現実ですね。ただその人は挑戦しました。その人は他者からの評価には恵まれなかったかもしれませんが全力を出せたのであれば充実を手に入れたはずです。僕にとってそのリタイアはとても価値のあるものだと言いたいです。そして敗者でもない。人生は点でなく線です。リタイアした強烈な思い出の点と次に向かって進むその先の点をつなげばいいんです。その人の人生はその人が背負ったものですから。

ー 最後に今からニューヨークでフォトグラファーで活動しようと考える人に一言お願いします!

Shin:「これからやりたいこと」に対して純粋に向き合って、行動してほしいです。もちろん行動すればいろんな事はあると思いますが、出来る限り自分を信じる事。何層にもなった撮り手の歴史は必ず被写体とシナジーを生むと思っています。そのときにきっとその人しか撮れない写真があるんじゃないでしょうか。お互い頑張りましょう!