ファッションを通じてカルチャーを伝える―スタイリストSEIKOが見つけた可能性

Seiko Watanabe:2011年に渡米、Berkeley College卒業後スタイリストとしての活動をスタートする。 アメリカ国内外問わず、Editorialをはじめ、カタログ、キャンペーン等のスタイリング、ローカルのスケーターや、ミュージシャンをストリートハントし、モデルとして起用するキャスティング業も行っており、メンズファッション誌Popeye等のキャスティングも担当。 また、2012年からはN.HOOLYWOODのNY Collectionでのスタッフとして参加している。 2015年より自身のディレクションするメンズストリートブランドを発表予定。

SEIKOちゃんにインタビューをさせて頂いた時に「人と出会って、人の為にした事がいつか夢に変わって、夢が叶う」という言葉にグラッときました。大都会ニューヨークで自分の好きな仕事を仕事にしている人ほど心が綺麗で、やりたいことにたいしてまっすぐな姿勢がSEIKOちゃんから感じました。

彼女がニューヨークのファッションを学ぶ事で気付いた、ニューヨークでファッション関連で生きていく為に必要な事とはなんなのか?ニューヨークで経験したことと、これからニューヨークでファッション関連の活動をする人の為になるポイントを伺いました。

昔から好きだった事が仕事になった

ー 今日はよろしくお願いします!では、入りは一般的な質問から…何がきっかけでファッション業界へ?

SEIKO:実は始めからファッションの学校に行ってたとかではないんです。高校時代は音楽が大好きでロンドンに留学しにいって、大学になってからはDJを始めて、DJをする為にLAに留学もしました。帰国後も日本で音楽をやってたんですが音楽でご飯を食べようという程には考えてなかったです。だけど就職しないといけない時期がきて、その時に昔から服は大好きだったので、仕事にするならアパレルしかないなと思ってアパレル業界に入りました。始めは販売や生産の部署に配属されて、その後もバイヤーとして海外に買い付けに行ったりしていました。

ー では、バイヤーになったのがきっかけで海外に興味を持ったのですか?

SEIKO:なんだろうな…留学した経験もあって海外にずっと住みたいって気持ちは昔からありましたね。当時は東京に住んでいたのですが、もっと見た事のない街が見たい!と思ってたのもあって、頭の中では「いつか海外に住みたいな」と思っていましたね。もちろん東京も刺激的で楽しい街なんですが、海外の方が私の場合は魅了的な部分がたくさんありました。

ー じゃあ、その時からアメリカに住むつもりだったのですか?

SEIKO:実は最初はアメリカって全く興味がなかったんですよね(笑)だけど、日本で大学を卒業した後、日本のバーニーズニューヨークで働いて、ニューヨークからたくさんのデザイナーが訪日したんです。その時デザイナーの人と話した時に彼らに「君はニューヨークに絶対あってるよ!」と言われた時に「私いつかニューヨークに行くのかな」と思いましたね。当時はロンドンに留学した後だったこともあり、会話程度は問題なしに出来たのも大きかったです。

ー すごい出会いですね!では、その時には夢は決まった感じだったんですね。

SEIKO:いやいや。そう思っただけで、だからといってニューヨークで何をするんだ?と頭の中ではずっと思っていました。当時はデザイナーになりたいとも思ってなかったし、スタイリストになりたいとも思ってなかったんですよね。だけど、とりあえず1年自分を信じてニューヨークに行ってみよう!と思ったんです。ダメだったらダメでその時考えようと思いました。

ー 今までの話を聞く限りファッションに関係のある学校に通った感じではなさそうですが、経験なしでニューヨークに行ったんですか?

SEIKO:学校に行ったことはないです。仕事の上でマネキンに服を着せるくらいのスタイリングしか当時はやってなかったですね。ニューヨークに行こう!と決めた時に1年間だけ時間を作りました。その時期は色々な事に興味があって、何か楽しいことないかな〜って1年間毎日考えていました。なんで当時は楽しそうな事はなんでもやりました。それこそレコードを買い漁ったり、ビンテージの服を買い付けに行ったり、服を雑誌に貸したりしていました。楽しかったですよー。

ー レコード買うくらいはわかるんですが、買い付けや雑誌に貸し出すとか…どうやってコネクション作ったんですか?

SEIKO:コネクションなんて思ってないですよ。このコネクションは遊びの中で出来たコネクションなんです。元々コネクションを作ろうなんて下心な気持ちでやってたんじゃなくて、本気で遊んでたらコネクションになった感じです。当時はDJや音楽聞きにクラブに行ってたんですが、その時に「今度服貸してよ!」とか声かけられたんです。彼らも本当に友達の感じで「この服雑誌に載せていい?」とか聞いてくるんです。私は「どうぞ、どうぞ」なんて言ってるくらいなんで、この行動が仕事だとも思ってなかったんです。本当に楽しんでただけなんです。

ー なるほど。その1年で得た経験を元にニューヨークに渡米したんですね。

SEIKO:そうですね、当時は最低1年くらいはニューヨークに住もうと思ってる程度でした。始めは語学学校に入って、その時のクラスはたまたま日本人が多くて、その中でも同じクラスのフォトグラファーの日本人に急に「何してる人なんですか?バイヤーっぽいけど…」って声かけられて、未だになぜかわからないですが「私スタイリスト希望なんだよね」と言ってしまったんです。マネキンに服を着せたくらいの実績しかなかったのに言っちゃったんです。(笑)

私はスタイリストでニューヨークでは生きていく

ー (笑) 嘘じゃないですか。

SEIKO:そうなんです(笑)だけど、言っちゃったから次の日には「SEIKO スタイリスト」って書いた名刺作って「私はスタイリストでニューヨークでは生きていくしか道はないんだ…」と思っていましたね。その後は会う人、会う人に名刺を配りまくりましたね。そしたらまさかの撮影に呼ばれちゃって、当時は何も知識がなかったので、googleで「スタイリスト 仕事」とかググって調べていましたね(笑)これがニューヨークに来て1ヶ月後の話って思うと鳥肌立ちませんか?(笑)

ー 1ヶ月ですか?!嘘!スゴイですね。その撮影の機会を作れたのは本当にたまたまなんですか?

SEIKO:当時から日本人コミュニティには顔を出してて、ニューヨーク歴が長い人に「何してる人?」と聞かれた時に、「スタイリストなんです!」とか言ってたら呼ばれちゃったんです。その他にも色々話しをもらったのですが今思うと、学校にDJが多くて、よくイベントに呼ばれたんです。当時から呼ばれたイベントは全て顔を出す!と決めていたのもあって、人と出会う度に名刺を配っていました。

ー それでもクラブで会う人とか、お酒も入ってるので仕事の話なんて出来なくないですか?

SEIKO:私は普通の留学生よりも少し年齢が上なのもあって、ニューヨークに来たからって派手に遊ぶ事とかはしなかったので、紹介されたら相手としっかり話は出来ましたね。あとランチに呼ばれても誰かが誰かを紹介してくれる雰囲気が昔からあったので、その出会いも大切にしていました。そんなことを1ヶ月やってたら撮影の話が来た感じですね。

ー なるほど。彼らはSEIKOちゃんが昔日本で何をしていたか知っていて、「この人なら大丈夫!」と思って仕事をふった感じなんですね。

SEIKO:いや、それはないです。ニューヨークに渡米後は日本でやってた事は誰にも言ってないです。それは過去の事だから、それを武器にするのもかっこ悪いし、もちろん知り合いに頼めばニューヨークでコネクションを作るのも簡単だったと思うけど、それもやらなかったです。全て0からスタートしたかったのもあってニューヨークに行く事も親しか知らなかったです(笑)あ、余談ですが語学学校も自力で見つけて、入学しました!

ー 語学学校を選ぶ基準はなんだったんですか?

SEIKO:英語は伝える為のツールとしか考えてなくて、とりあえず出席日数がコントロールしやすくて、学費が安くて、日本人が多い語学学校を探しました。だけど、入学して2ヶ月後には大学に行こうと決めて退学しました。

大学で本当のファッションを学ぶ

ー え!そんなに早く退学したのですか?

SEIKO:当時は「こんなところにいても、自分自身を変える事は出来ない!」と思って大学に行って、学位を取ろうと決めました。その時はちょうどタイミングがよくて、9月に入学出来たんです。実際2ヶ月語学学校に行って、撮影のチャンスなんかも頂いたのですが、少し自分なりに考えた結果、人生でおもっきり学問を学べる時間って実は限られているんだなって思ったんです。例えば日本で就職後に何か勉強しようと思っても、よっぽどやる気や時間がないと出来ないですが、今なら出来ると思ったんです。あと当時は英語を使って、勉強がしたくてたまらなかったのもありましたね。それで大学に行く事を決めました。

ー 大学では何を学ばれたのですか?お金は大丈夫だったんですか?

SEIKO:バークレー大学てファッションマーケティングについて学びました。学費はスカルシップ制度を使って奨学金を貰いました。こっちのスカルシップ制度は好成績を維持すれば返さなくていいんです。だけど、かなり勉強はしましたね…その制度を知ったのも、たまたま4年くらいニューヨークに住んでる友人がポロッと言った言葉を聞き逃さなかったんです。大学って4年制なんですが日本の大学の単位も使って2年で卒業しました。

ー 大学に行くっていっても、その制度を使うとかなり大変そうに見えますがどうでしたか?

SEIKO:それは鬼のように大変でしたよ。日本の大学と全然違って、プレゼンテーションはずっと話っぱなしだし、法律の勉強もしないといけないし、リーダーシップ論やセールスなど色々勉強しました。ファッションで話をするとアメリカから見たファッションは巨大産業で、どうファッションを回しているのかを学んだりしました。人生で一番きつい2年間でしたね。

ー 実際日本でも色々実績を作られてますが、大学で学んだファッションとは全く違ったのですか?

SEIKO:どっちが正解とかはないんですが、考え方はアメリカの方がもっとビジネスでした。日本ってデザイナー的な目線でファッションを考えるんですが、アメリカはビジネスとして考えますね。だけど、ビジネスをわかった上でファッションの仕事をしたかったので、学んでよかったです。もちろんその時はスタイリストとしてやっていくなんて思っても無かったですが、昔からファッションに携わる仕事をやっていたので、今後もファッション関連の仕事をするなら、クリエイティブな思考だけでなくビジネス思考がないと戦えないと思いました。

ー 今後もファッション関連の仕事をやろうと思ったのは、日本でも長年ファッションの仕事をしたし、大学でも学んだからですか?

SEIKO:少し違いますね。自分が今までこれやってきたとか、これ学んだって事は仕事にならないと思うんです。つまり、人の役に立てる事じゃないと仕事にもお金にもならないんです。そう考えた時に「私は?」と自分に問いかけたら「服しかないでしょ!」という答えになったんです。

スタイリストを選んだ覚えは無い

ー 大学でビジネスについて学んだのに、なぜスタイリストの仕事を選んだのですか?

SEIKO:これは今も思っている事ですが、スタイリストという仕事を選んだというより、ファッションを通じて表現するツールの一つとしてスタイリングという仕事もさせていただいています。ファッションを通じてカルチャーを生み出したいというのが、私の中の一番大きなテーマです。

ー スタイリスト以外でも色々されているのですか?

SEIKO:まだブランド名は発表出来ないですが、服を作っています。何かを作りたいとは渡米前から思っていましたが、ファッションで勝負するというより、カルチャーを生み出したいという気持ちが強く、ニューヨークに住み始めて、自分の洋服作りの方向性も明確になったという感じです。洋服を使ってカルチャーを作り出したいんですよね。スケートしている子供達や音楽が生活に根付いているニューヨークにインスパイアされましたね。

ー へー、面白いですね!今SEIKOちゃんが作ってるブランドはどんなブランドなんですか?

SEIKO:Maksimも経験ありませんか?昔子供だった頃に「明日この服着て、学校に行くから嫌だけど頑張って行こー!」みたいな経験。あるでしょ?その感覚をブランドに落とし込みたかったんです。毎日この服着たら幸せになる!みたいな。それの答えはハイファッションではなかったんです。

ー ハイファッションとかは全く興味ないんですか?ここはニューヨークですよ!笑

SEIKO:たしかにハイファッションはスタイリッシュで綺麗かもしれないけど、何千ドルもする服とか見ると「これって服に価値あるのかな?」とか思ってしまったんです。たしかに高い服を着れば気分はよくなるかもしれないけど、もっとストリートな感じがいいんです。それこそ「先輩が履いてたあの靴が欲しい!」とか「やっとスニーカー手に入れたから、明日学校行くのだるいけど行くか!」みたいなブランドを作りたいって日本にいる時から頭のどこかにはイメージがあって、それがさっきも話たんですが、色濃く残ってるニューヨークのストリートカルチャーの中で見つかったみたいな感じですね。その時「あー、ニューヨークでブランドを作るしかないな」と思いましたね。

ー そんなブランドを作るって言っても1人じゃ無理じゃないですか?どうやって仲間を見つけたんですか?

SEIKO:ブランドを作りたいと思った時から周りの数人には話をしていました。数人しか話してないのに何人かのグラフィックデザイナーは「俺とやろうよ」と声をかけてくれましたが、グラフィックデザイナーからすれば、自分の作ったものが洋服になるからアパレルをやりたいと考える人も多いですが、私のブランドのコンセプトを理解してくれる人を見つけるのは難しかったです。時間はかかりましたが、言い続けた結果最高のパートナーに出会う事が出来ました。

ー 彼との出会いをもう少し深く聞いてもいいですか?

SEIKO:彼にはロゴの製作を始め依頼したんです。そのロゴがある程度出来た時に彼に「私はこのロゴを買うのか、それとも一緒にやるのかどっちがいい?」と聞いたら、「一緒にやろう」と言われたのでチームを組む事にしました。言葉だけで書くと軽い感じがしますが、もちろん意味深ですよ(笑)

ー 自費で作られたのですか?あと個人的にブランドを作ったとしてもどうやって売るつもりだったのか聞きたいです。

SEIKO:自費で作っていたのですが、売れる気しかしなかったので怖くはなかったです。また売る場所もオンラインは考えてなくて、ココだ!と思うお店だけに置いてもらう感じにしようと思っています。そのコネクションも自分から売り込みで行くんじゃなくて、友達の友達から紹介とかで見つかるんです。だって、かっこいい物作ってるんだから声かかるにきまってるじゃないですか!(笑)

自分から営業した事はないのに、繋がる人脈

ー 色々話し聞く中で、なんでSEIKOちゃんには多くの人が近寄ってくるんですか?

SEIKO:私はSNSとかをフル活用するような人間ではなく、1つ1つの仕事をす〜っごい大切にこなしています。もちろん大切にしたからといって「次ぎの仕事下さい!」とかそういう事も言ってません。とりあえず頂いたお仕事は160%でやる!と心に決めて、毎回仕事をしています。それは仕事ではなく、人付き合いでも同じです。後もう1つ大切にしてることがあります。それが感謝です。

ー 感謝ですか?ファッションに全然関係ないと思ったのですが。

SEIKO:私は今だに「スタイリストですか?」と聞かれたら、アシスタント経験や経験もまだまだ浅い事から「はい!」とはすぐ言えないです。だけど、こんな私に多くの人が仕事の依頼をしてくれます。そんな私に仕事を依頼して下さる人に感謝以外何も出来ないですよ!もちろん仕事は160%の力でやりますよ。だけど、これはニューヨークだから出来るのかもしれないですね。ニューヨークは肩書きではなく人をしっかり見ています。だから、160%で頑張って、ちゃんと感謝する気持ちを忘れなければ必ず第三者は見てくれていますからね。

ー おっしゃる通り。では、そんなSEIKOちゃんが始めてやった仕事はなんですか?それはどこで見つけましたか?

SEIKO:仕事ではないんですがお手伝いでニューヨークコレクションのお手伝いをしました。それはADD7で見つけましたね(笑)ADD7を簡単に考えちゃいけないですよ。その時はフィッター募集してたんです。そのお手伝いは3シーズンやったのですが、毎回160%の力でやってたら4回目でダイレクトで仕事の依頼がもらいました。その時はOPTで仕事が出来る環境だったので仕事しました。今になって「なんでたくさんいる中から私?」って考えたのですが、当時は裏側に入って衣装を着せるだけですが、本当に楽しくて、毎回ワクワクしながら真剣に手伝いをしていました。その姿を誰かが見ていたのかもしれないですね。その時は超ミーハーだったので色々な人と写真を撮ったりとかもしてましたよ(笑)だけど、このニューヨークコレクションで出会ったデザイナーの方には本当に色々教えてもらいました。

ー その方との出会いが人生を結構変えたのですか?

SEIKO:変えましたね。正直社会人になると私の為に怒ってくれる人って減ると思うんですよね。彼は洋服の扱い方についても怒られましたけど、人として大切な部分を怒ってくれました。ニューヨークだと特に外人って怒られないんですよね。だけど、彼は出会った時から下っ端の私にもショーの前は握手をして、終ったら「ありがとう」と声をかけてくれたんです。外国に住むと自分でいっぱいいっぱいで他人を見れなくなってしまいますが、私も彼みたいにあんな風に人と接したいなーって思いましたね。

ー なるほど、色々経験されてるんですね。だけど、お手伝いって大学時代ですよね?すごい大変だったんじゃなかったんですか?

SEIKO:だからさっきも言ったように鬼のように忙しかったですよ。(笑)だけど、人生ってめちゃくちゃじゃないと面白くないじゃないですか?だけど、そんな鬼のような活動を頑張ってしたからこそ人が繋がって、今では仕事に繋がっています。最近だと「Safari」の雑誌のキャスティングもやったりしたり、ユニクロさんから声かけてもらったり。本当に繋がりです!本当に感謝ですよ!

ー 色々ありがとうございました!すごい面白かったです。最後に今からニューヨークで頑張りたい人に一言貰えますか?

SEIKO:日本にいる時ってルールの中で生きないと「お前はダメだ!」と言われてるような風潮ってあると思うんです。私もそうだったんですが、日本にいる時はルールの中からはみ出す事が好きな反面、社会から指を指されてるのを感じました。だけど、ニューヨークは逆ではみ出しても「それでいいんじゃない?」と言ってくれる人がたくさんいます。あとニューヨークは未来がわからないって部分も魅力的です。東京にいるとなんとなく数ヶ月後の自分の姿が想像出来るじゃないですか?ニューヨークって想像出来ないんですよね。それだからこそ頑張れるってのもありますね。

ー 日本人コミュニティにしてはどう思いますか?

SEIKO:大切だと思いますよ。言っても私たちは異国民なんだから助け合う文化をしっかり作らないといけないです。私自身もし日本人の友達と出会ってなければ、とっくに帰国してますよ(笑)だけど、彼らに会えたからこそ、今の私があるんです。逆に私を目標にしてくれてる後輩の子にも今の私を見せるのではなくて、今までの足跡を見せて「頑張れば、私くらいにはなれるんだから頑張れ!」と言いたいですね。だけど、私も死ぬ程努力した事は言わないけど、その足跡もしっかり見てね(笑)

ー 足跡を見れば夢が叶うとは思わないのですが、夢が叶う人と叶わない人の違いはなんだと思いますか?

SEIKO:うーん、私も色々相談にのりますが「なんでそれになりたいの?」と聞いても答えれない人が夢を叶えれない人だと思います。答えれない人は夢が人の人生を変えたいではなくて、有名になってお金持ちになりたいみたいな奥行きが無い思考しかないんだと思う。夢が叶えれる人ほど人の人生を変える事にフォーカスをむけていますね。これがさっき言った感謝にも繋がるんですが、どんな地味な仕事でも人の人生を大きく変える事があります。人の為と思えばどんな仕事だって出来るんですよね。人が生きてる実感をするのって人から感謝される以外ないと思うんですよね。だからこそ、ニューヨークに渡米したからといって夢が見つかるんじゃなくて、人と出会って、人の為にした事がいつか夢に変わって、夢が叶うんだと私は思いますよ。