世界のトップデザイナーが求める1つ上を ー 川口 亮が語るトップパタンナーの物作り

川口 亮: NYのハイエンドブランド「3.1Phillip Lim」パタンナー. デザイナー川口 亮。想いや考えを具体化し、生地や縫製、構成を構築して布で形を表現し、求められている物の一つ上を提案していく。2011年渡米、マイケル・ジャクソンの”THIS IS IT” やlady gagaなどのコンサートコスチュームや数々の舞台の衣装を手がけているデザイナー ZALDY(ザルディ) のチームにアシスタントととして入り、2011年ブリトニー・スピアーズのワールドツアーやEXILE のツアーのコスチュームに携わる。それと同時にロックグループU2 のBONOが立ち上げたNYのハイエンドブランド EDUNにてモデリストとして働く。 その後、EDUNに就職し2年間コレクションに携わる。 その後、Phillip Limからのオファーを受け、今に至る。 日本では文化服装学院卒業後、パタンナーとデザイナーとの両方を3年間OEMの会社で行っていた。

「0から1を学ぶことがニューヨークでは出来ない。ニューヨークは1から10にする場所なんだよね」と語るのは世界中にファンを持つ「3.1 Phillip Lim」にて現役パターンメイカーとして働く川口 亮さん。文化服装学院を卒業し、ギャル服から始まったパタンナー生活が今や世界的有名なファッションウィークの裏方で世界の一流ブランドを手がけるパタンナーとして活躍。

学生ビザからスタートした「夢への挑戦」とPhillip Limで働くまでの経緯をインタビューし、これからパターンメイカーとしてニューヨークに来る人の為になるポイントを伺いました。

ニューヨークで挑戦しようとしたきっかけはギャル服

ー 今日はよろしくお願いします!では始めに何がきっかけでアパレル関連に興味を持ったのですか?

川口:僕は千葉の小さな街で生まれて、高校生の頃にブラックカルチャーが好きで先輩に連れられてスケートをし始めた時に、HIPHOPと出会ったことがきっかけでファッションにどんどん興味を持ってきました。なので元々はハイエンドブランドにはあまり興味がなくて、実際はストリート系のブランドに興味があったんです。だから文化服装学院の入学式ではみんなモードっぽい服装でみんなめっちゃお洒落して入学式に来る中、自分は坊主にスーツで入学式に出ましたね。実際Yohji YamamotoやCOMME des GARCONSは学校に入学してから知りましたからね!

ー 結構勢いで大学を決めたような雰囲気がありますが、ご両親は心配されなかったのですか?

川口:いやー心配されましたよ!自分自身がかなりの飽き性なんで、途中で飽きて学校中退したら何も残らないし、大学出てないと就職が出来ない!と言われてた時代だったので大学行けって言われたんですが、自分自身が当時やりたい事が明確だったので文化服装学院に行く事に迷いはなかったです。もし大学に行ったとしても、結局卒業したら文化服装学院に行くつもりだから、今行こうが、卒業後に行こうが結局文化服装学院に行くなら、早いうちに行った方がいいといいんじゃないかって思って文化服装学院一本で受験しました。

ー なんかスタートがすごいですね笑 実際文化服装学院では何を学んだんですか?

川口:元々はストリート系のファッションデザイナーになりたくて入学したんですが、2年生の時に今後何を学ぶか色々選択肢があって、その中にパタンナーの文字があり、それがパタンナーという言葉と初めてあった瞬間でしたね(笑)元々学校に入学する時はデザイナーとして将来は活躍したい!と思って入学したのですが、でも色々な才能ある人と知り合って、自分じゃ彼らにかなわない…って感じた時に、「自分が何が出来るんだろうか?」と考えたんです。その時に自分は0から1を生み出すデザイナーではなく、1から10を作り出すパタンナーの方が向いてるんじゃないかな?って思ったんです。これがパタンナーになろうと思ったきっかけです。

ー 2年生で皆さん今後の選択されると思うのですが、デザイナーと同じくらいパタンナーとは人気ある科だったのですか?

川口:みんなほとんどデザイナーを選択しますよ!正直パターンメイカーはあんまり人気のある職業ではないです。すごい技術的で数ミリ単位で頭を使って、物作りをしないといけないんですよね。与えられたものを構築してくので、建築士に近いかもしれないです。だけど、建築士と大きく違うのが素材が布なので硬い、柔らかいにあわせてパターンをあわせないといけないので、一人前になる為には相当な経験と時間が必要なのもあり、パタンナーは人気がないですね。あと日本ではパタンナーよりデザイナーの方が高く評価されて、パタンナーが評価されにくい現実がありますね。本当に影の存在と言ってもいいかもしれないですね(笑)だけど、僕は細かい事をするのが好きだったのもあったのでパタンナーが向いてたのかもしれないですね。だけど、今でもデザイナーをやりたい!と思う瞬間はありますよ。

ー 面白いですね!パタンナーの職業が向いてる!ってわかってながらもデザイナーとして活動したい!って気持ちもあったんですね!大学を卒業してすぐニューヨークに行かれたのですか?

川口:いや、自分はパターンメイカーとして日本で就職しました。当時は「やるんだったら女の子の服!しかも、ギャル服!」と意気込んでいて、なんかストリートの真逆がやりたくて考えた結果ギャル服でしたね(笑)でも、その時は「絶対今後ギャル服が盛り上がる!」って本気で思ったんで、とりあえず109に入ってるようなギャル服系のブランドに履歴書を送りまくりましたね。ギャル服と言えど就職は難しかったですが、とりあえずOEMに就職が決まって、当時は色々なギャル服のデザインを貰ってパターンに落として、工場とやりとりをしたり、サンプルをブランドに持って行ったりしていましたね。この仕事は3年やりましたね。ここで学んだ事も後に活かされるなんて当時は思ってなかったです。

ー ギャル服から海外ってイメージ全くないですが、何がきっかけでニューヨーク留学をしようと思ったんですか?

川口:当時はラグジュアリーをやるのか、メンズストリート系をやるのか本気で悩みました。でも、結局ギャル服を作ってるデザイナーの多くがラグジュアリーのトレンドのデザインをギャル服に落とし込んでいるだけで、結局根底にあるのはラグジュアリーなんじゃないかって事に気付いたんです。

ー なるほど。ラグジュアリーを学ぶ為にニューヨークに留学したんですね!留学の目的は英語を学びたい!とかではなく、明確な目的があってきたんですね!

川口:いやー…よくなんで留学したの?って聞かれるけど、はっきりした答えが未だに見つからないですよね(笑)だけど、ニューヨークに行った事なかったけど、俺は一生ニューヨークで生活するんだろうな!ってどこかで思っていました。留学の手続きも始めてたけど、とりあえず下見がてら5日間だけニューヨークに行って、その2ヶ月後に学生としてニューヨークに戻ってきました

ー ニューヨークに来た事もないのにニューヨークで一生住むんだ!って感じるってすごいですね(笑)学生ビザってことは将来的にも仕事はできないじゃないですか?その辺りはどう思われてたんですか?

川口:自分の場合当時から変な自信はあった!1年以内に就職が決まらなかったら日本に帰国しようと決めていたんです。あの時は25歳だったし、これが歳的にも最後のチャンスだ!って腹をくくって本気で取り組んでいました。

ニューヨークで仕事をするきっかけ

ー 1年というとすごい短いタイムリミットだと思いますが、この1年は何をされたんですか?

川口:まず始めは英語だね。英語は一言も話せないレベルだったから、とりあえず会話くらいできないとやばいと思って半年は語学学校だけにしぼって、英語漬けの毎日だった。半年たってから夢に向かっての時間を使おうと思っていました。だけど、実際半年英語勉強したくらいじゃ話せないことに半年経ってから気付いたよ(笑)だけど、俺は運だけはよかったんだ!始めの1ヶ月はホームステイしようと思ってて色々知り合いを通じて探してたらディーゼルのテキスタイルデザイナーの人の家にホームステイさせてもらいましたね。

ー それは…運が良すぎじゃないですか?(笑)

川口:本当だよ!その人もすごいいい人で「あきらの履歴書を色々な場所にバラまいてあげる!」って言って、実際にやってくれたんだ!けど、現実は甘くないから連絡はなかった。1ヶ月が経って、違う家を探さないと行けない時に彼の紹介でラルフローレンのスケッチャーの家を紹介してもらいました。その時も「この人の家住めるよ〜」って紹介してもらった時は「ニューヨークすげーな」って思いましたね。運が本当によかった。彼も履歴書をバラまくのやってくれたけど反応はやっぱりなかったです。

ー 運が良すぎますね!けど、やっぱり働くとなると難しいんですね。多少英語が話せるようになったからこそ感じる「ニューヨークで叶えたい夢」の壁は高かったと感じたと思うのですが、そう感じた後は何をしましたか?

川口:当時はお金が全くなくて、早く仕事を出来るようなビザに切り替えて仕事がしたい!って思ました。だけど、現実ビザの問題は仕事は出来なかったね…学生ビザだと仕事をする権利はないんです。だから、とりあえず服に関する仕事の求人出してる所に無給でもいいからインターンをさせてくれ!って連絡しました。バイヤーもどきみたいなこともしたし、くっだらないような事もやったね…色々ありました。そんな事をしてたらADD7って掲示板で縫製の仕事を見つけたんです。これが全ての始まりでした。

ー まさかのADD7(笑)ADD7なんかにも可能性があるんですね!

川口:そう!ADD7はアルバイトだけじゃなくて正社員になれるチャンスも転がってるんです(笑)

ー 少し聞きたいことがあるので話がそれますが、色々仕事を見つけられたと思うのですが、どんな方法で見つけたんですか?

川口:始めの縫製の仕事はADD7だったけど、その後はEDUNで一緒にインターンした子から情報をもらったり、一緒に違う仕事をした人に紹介もらったりしましたね。ネットで仕事を探すのは実際難しいですが、業界に一歩でも入っちゃえば学生でもチャンスは結構ありますね。というか片足でも突っ込まない限りチャンスはないですね!

ー なるほど…面白いです!横道それて、すいません!話を戻しますが、実際にADD7で縫製の仕事を見つけてとりあえず履歴書を送ったんですか?

川口:そうですね。とりあえず履歴書を送ったら「ビザのステータスはなんですか?」ってすぐ連絡がきて「学生なんですが、無給でもいいんで仕事を手伝わせてもらいたい」って返信したら「うちは大きな会社だからビザのステータスがない人は一緒に仕事できないんです」って言われたんです。だけど、自分は引き下がらなかったですね!返信で「なんでもいいので経験がしたいので是非やらせてください!」って送ったら「わかりました。なら一度面接しましょう」って流れになったんです。その後インターンとして仕事を手伝わせてもらったこの会社が後にビザをサポートしてくれたEDUNだったんです。

ー おもしろいですね!諦めない心が生んだ勝利ですね!お金が貰えないといっても初のニューヨークでの正式な仕事をするわけじゃないですか?その時はどんな気持ちなんですか?

川口:現場はインターンっていってもほとんどがパーソンズとかの学生だったんだけど、自分だけ仕事の経験が日本であったのもあって知識が始めから彼らよりもあったこともあって始めから重要視されてました。そんなこともあってファーストコレクションも終った後には上の人達からも目をつけられるくらいのポジションにはいました。その時に平行して知り合いを通じて紹介してもらったZALDYって会社にもインターンとして入ることになったんだ。これ以外にも何個か掛け持ちしてながら学生をやってたから超ハードでしたね(笑)

ー 想像するだけで疲れちゃいますね(笑)何社も掛け持ちしてその後はどうなったんですか?

川口:とりあえずはEDUNとZALDYに集中しようと思って他のインターンはやめました。そして初めてZALDYに行って仕事を手伝った時にZALDYが「お金を払いたい」って言い始めたんです。だけど学生だから貰えないってことを伝えたらビザのサポートを考えるって言ってくれて、この話をEDUNにしたら「お金も払うし、ビザサポートも出来るから考えてみてくれないか?」って言われたんでsy。そんな二つに挟まれながらもインターンの仕事は続いたんだけど、この後1ヶ月が結構大変だったんです…

ー ここまで話を聞いても本に出来そうな感じなんですが、まだ大変なことは続くんですか?!

川口:続きます(笑)EDUNの方がコレクションで使いたい服のパターンを引いてほしいって言われたんですが、時間的に無理なこともあって断ったらZALDYの空いてる時間でZALDYのアトリエでもいいから作ってほしいって言われたんです。「そんなことできるわけないじゃん!笑」って思ったんだけど、ZALDYにお願いしたらインターン後だったらアトリエを貸してくれるって言われて、ZALDYの仕事の後にEDUNの仕事をしたね。だから朝から夜9時までZALDYの仕事をやったあとに、9時から朝3時までEDUNの仕事をZALDYでやるって感じが1ヶ月くらい続きました。しかも、この間も学校にいかないと学生ビザなくなっちゃうから学校にも行ったんです。

ー すごい過酷ですね…そこまで色々やられてるならそろそろビザを出してもらってもいいんじゃないかな?って個人的には思っちゃいますね。

川口:そうなんだよね(笑)この時はインターンだったってことを忘れないでね(笑)この後にEDUNがビザを出してくれるって話になったんだ。EDUNはルイヴィトン系列だからビザも降りやすいってのもあったからZALDYからのビザのお誘いも断ったんです。この時のビザがJビザでした。本当はHビザを申請したかったのですが、時期的にHビザを申請できない時期だったので、とりあえずJビザでHビザまでの時間を繋ごうって流れになったんです。この時には今までお世話になってZALDYには辞めることを伝えました。

始めてファッションの仕事でお金を稼ぐ

ー ついにビザが手に入って、ニューヨークでパターンメイカーとしてお金を稼げるときがきたんですね!ビザを貰ってからの始めの仕事はどんな感じでしたか?

川口:EDUNは年に二回コレクションがあるから、一つ一つのコレクションに向かって、デザイナーと一緒に作品を作り続ける感じですかね。あとはこっちからも提案もして、仲間全体で1つのショーの為のコレクションを作っていくって感じ。当時はまだ英語が話せなかったのもあって「こんな英語話せないのに学校に行かなくて大丈夫かな…」って正直不安になりましたね(笑)だけど、実際パターンメイカーに求められる英語ってたかがしれてるし、ミーティングよりもいかにデザイナーが求めているものをパタンナーが形にするかが大切な世界だからね。この仕事は英語力とかじゃなくて感性が大切な仕事だからね!

ー パタンナーの話を色々伺っていると、いかに細かく、言われた通りの物を作るのが仕事だと思っていたのですが違うんですね!パタンナーにも感性が必要だとは思いませんでした。

川口:デザイナーが書く絵って良い言い方で言うと「個性が強い」、悪い言い方でいうと「下手」なんですよ。なので実はその絵からは全然伝わってこないんです。でも、デザイナーの頭の中では作りたい物のイメージは出来ているんで、絵を貰った後にデザイナーと話し合って、彼らの考えていることを自分もイメージしてパターンに落とし込むんです。そう考えるとパタンナーのほうがデザイナーよりもクリエイティブでいなきゃいけないのかな?って思いますね。

ー 深いですね…では、実際働いてみて日本との仕事の違いはありますか?

川口:ありますね。日本ではコレクションとかがあるわけじゃないので淡々と作品作りをするんですが、こっちはもっとクリエイティブな物を求められますね。なんて言うんだろ…一緒に物作りをする感覚?多分デザイナーズブランドは同じかもしれないけど、自分がいたOEMではブランドを持ってる会社ではなかったので、コレクションをやるなどの感覚はなかったです。なのですごい新鮮でした。

ー そんな新鮮さのある会社を2年でやめてしまったんですね?なんで居続ける選択はしなかったのですか?

川口:ちょうどJビザからHビザを切り替えときにPhillip Limからもビザサポートするから来ないか?と言われていたんです。だけど、せっかくビザを出してくれたのもあって半年は残ろうと思いました。あと転職しようと思ったもう1つのきっかけはクリエイティブディレクターが変わったこともありましたね。どちらも素晴らしい人ですが、少し波長があわないのもあって転職を考えてた時にPhillip Limからお誘いがあったので転職しましたね。

ー 運かもしれないですが、本当に上手い具合に繋がってるんですね。どこでPhillip Limの方は川口 亮を知ったのですか?

川口:EDUNにフリーランスとしてきたパタンナーの方が元Phillip Limで働いていて、また少ししてPhillip Limに戻ったんです。その時に上から「誰かいいパタンナーがいないか?」と聞かれて、自分の名前を出してもらったんです。その人は今でも一緒に働いていて最高の仲間ですね!

ー ノーギャラで経験の為に本気でやってたことが実を結んだんですね。人生何が起こるかわからないですね!少し話しズレてしまいますが、始めてファッションウィークに出た時はどうでしたか?

川口:めっちゃテンション上がったね!ショーの当日よりもショーの3日前くらいから衣装のサイズ直しが始まるんですが、その3日間で全てのモデルの衣装を直さなくてはいけなくて、時間を忘れてしまうくらいの忙しさなんですよね。だけど、その時間が一番エキサイティングな時間でしたね!当日もモデルに衣装を着せて、ランウェイを歩かせるのですが、始めて見たとき感動のあまり泣きそうだったのですが、横にいたデザイナーが号泣してハグしてきたので泣くタイミングをなくしてしまいましたね(笑)泣きたかった!

ー (笑) やっぱり写真とかで見ていたランウェイと裏方からみたランウェイは違うんですか?

川口:裏方だと何が起きてるのか実際わからないんですよね(笑)当日は「とりあえずモデルさん服を着て!」って伝えて服を着せて、出る寸前までモデルさんのテイクケアをして、モデルさんが出てったらモニターなんて見る時間なんかないんで、外からの盛り上がってる雰囲気をかすかに聞くくらいですかね…なんで結構寂しかったりしますね。見たいよねー(笑)

ー 実際やってみてわかった素敵な事、嫌な事はありますか?

川口:モデルさんって細いんですよね。なので一般の方用にパターンを引いて作ってるんで毎回サイズを変更しないといけないんです。直す度に「またかよー!最初からこのサイズで作ればいいじゃん!」って思うんですが、ファッションウィークが終ってstyle.comで自分が作った服を着てるモデルさんを見ると「あー、やってよかったなー!」って思いますね。

ー 色々クリエイティブな事を経験されていると思うのですが、今までの製作した作品の中で何が一番力作でしたか?

川口:EDUNで一番始めに作った服は今でも覚えていますね。その時はパタンナーではなくモデリストっていってパタンナー件デザイナーに色々提案をするみたいなポジションをやっていて、一番に「ジッパーを使って面白いこと出来ない?」って言われて、それで色々提案をしたものがランウェイに歩いた時は感動しました。あれが一番思い出に残っていますね。この時はインターンでお金は貰ってなかったですが、パタンナーとしてだけではなく、デザインも提案して、その製作した物がランウェイを歩いたのは嬉しかったですね!なので、パタンナーだけではなくデザインも出すパタンナーになりたいですね!

ー これからファッション関連でNYに挑戦したい人に一言お願いします!

川口:まず就労ビザ(Hビザ)を取るためには大学4年を卒業してないといけないんですが、専門学校って3年生で1年足りないんですよね。だけど、3年間卒業した学部に関連している仕事をすると1年と見なされて、合計4年になって、就労ビザを申請する権利がもらえるんですよ。これを知らないで急にニューヨークに来ても、学生ビザから就労ビザに切り替えることは出来ないです。また3年間日本で経験を積んでから来た方が良いと個人的には思います。

ー それはなぜですか?

川口:ニューヨークは自分自身が経験したことを活かす場所。つまり、0から1を教えてくれる場所はなく、ニューヨークは1から10を育てる場所なんです。だからこそ、3年間は自分自身の経験を作る為に日本で修行してから、ニューヨークに挑戦したほうがいいと個人的には思います。何かを見つけようではなく、何か培ったものをニューヨークで洗練させよう!という気持ちで来た方がいいですね。ニューヨークには0から教えてくれる場所はないですからね。